サインデザインの手法
1.コミュニケーションと広告物:
屋外広告物はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌など、他の情報メディアによるコミュニケーションと同様に、社会的コミュニケーションにおける必要な情報の供給という立場からその存在を価値づけられている。この立場から屋外広告を分類すれば、企業(コーポレート)サインと公共(パブリック)サインに大別することができる。
企業サインの内容は、企業広告としてポスターなどによる企業や商品イメージなどの訴求や、CI(コーポレート・アイデンティティ)のための企業名や商品名を表示したものなど、これによって自社イメージを記憶させ購買時点へと接続させたいという願望、また、自社社員及び流通過程の関係者の勇気づけなどを目的とし、その内容・種類は多彩である。
公共サインには、公共的な情報の表示にかかわるものの他に、公共機関、公共の施設において必要とする存在、位置、方向を表示するサインを目的としている。
また、屋外広告を広告訴求の機能による分類に従えば、テレビなどのよる直接訴求とCIなどによる間接訴求に分けられる。この場合、屋外広告は間接訴求に入り、企業イメージの向上に寄与する媒体であるということになる。
2.都市における環境:
人間の生活環境における必要な要素は、働く場所、住む場所、休む場所、遊ぶ場所といわれている。人が密集して居住する都市は、それらの要素を合理的に計画し、生活しやすい環境を造りだすことが必要である。
都市計画は人口、産業、土地利用、緑地および交通系統などの計画を組み合わせて立案され、都市のもつ機能を満たすために必要な方法を発見しようとすることである。その実現のためには市民の私権の自由な行使も制限されることがある。
都市における環境はその歴史のなかで概略次のような変化を見せてきた。
ヨーロッパの中世の都市では防壁をもち街路は狭く不規則なものであったが、ルネッサンス期によると商業の発達にともなって都市は著しく発達し、城壁や宮殿・寺院の広場は拡げられ、中世都市の改造が活発になった。
16~17世紀にかけて<理想都市>の構想が次々と発表された。都市は多角形の保塁、直線的な街路、広場などを備えることになる。
17~18世紀には中央集権国家の成立とともに、都市の軍事的意味は薄らいで、街路や広場の幾南学的な構成の美しさが重視される。この時、ローマのポポロ広場、ベニスのサンマルコ広場、パリのシャンゼリーゼ通りなどが建設された。
19世紀になると産業革命による工場工業制の発達によって、膨大な数の人々が都市に移住して労働者になった。さらに大都市の弊害から逃れるために、田園と市街地の長所を合わせもった田園都市を建設しなければならないという提案が着手された。
その後この考え方を発展させた衛星都市の構想が発表された。これらは幾南学的構成や、装飾的街路の建設を主体としたこれまでの近世都市計画とは異質のものである。
第1次世界大戦後、ル・コルビュジェは自動車交通と高層建築を結合し、しかも幾南学的で厳密な調和美にたって考えることを提案した。
このように流動し、変化する都市の機能や生活の要求は、複数で多様な人間の環境に対する生活心理と結びついている。
そして、現代では機械化された環境を少しでも人間のためにという方向で、問題を解決していくことが望まれている。
3.環境の形成と広告物:
都市には自然を取り戻したいという願望がある。自然との調和を求める人達の人間性の回復を希求する心が、あまりにも人工的、機械的となった空間での生活の拒否のあらわれであり、自然への回帰本能ともいえるものと結合への願いでもあろう。このことから環境に対する抵抗力が生まれ、その保全とか、緑化とか、緑の確保とかの様々な問題提起が行われることとなった。
都市や自然など人間を取り巻く環境は、人間に影響を与え、そこに生活する人々の人生観をも決定してしまう。
都市の視覚的環境は建築をはじめとする種々の建造物によって形成されている。これらの造形物は人々の目を強制的にその視覚の中に誘い込む。
屋外広告も当然これらの環境の視覚形成に参加することになるので、都市環境における広告景観形成者としての自覚のうえに立った製作態度が望まれる。そこで、環境に対する制作上の基本態度として[順応」と「改善」という2つの型をあげることができる。
1.環境への順応についての考え方:
ーー・その必要 環境を破壊しないこと
________環境との調和を守ること
ーー・その条件 刺激的な形態や色彩を押さえること
ーー・その効果 環境のなかでは軽い緊張感を与え環境を引き立てる効果を持つようにすること
2.環境の改善についての考え方:
ーー・その必要 環境をつくり変えること
ーー・その条件 集中力を持たせること
________被覆力を持たせること
ーー・その結果 人工的環境の形成のために整理された統一感を持たせ、全体として大きなスペース、
________例えばある街路全体、ある施設ある環境などの造形に参加する。
ここにあげた順応と改善に関する方法は、相反する考え方であるが、製作参加の条件の違いによって、いずれかの立場が要求されることになるので暖味な企画にならないためにも、いずれも積極的な態度であると理解して参加することが望ましい。そして、環境の形成にたいして望まれることは[何かを洞察さる」ことが必要である。
1.環境と色彩:
環境は色彩によって趣を変え、その価値も変わる。とりわけ日本の四季はそれぞれに色をもち、色彩の変化を楽しませてくれている。自然の持つ魅力はこの変化のなかにあり、変化こそが自然である。これに対して人工のものは自然のように変化することのないものとして造られるので、変化のためには作り変えが必要になる。しかし、人工物は常に一定で不変であることが望まれるから耐久性のある材料によって変化の起きないように工夫される。
色についてはわれわれの感覚は四季のように変化するものとして受け止めている。このような日常の都市環境とかかわる色の要素は次の通りである。
1.建物の色
a 材質の色
b 材質の加工による色
c 材質の塗装による色
2.植物の色彩
a 樹木の色
b 下草の色
3.道路の色
4.ストリート・ファニチャの色
5.展示物やウインドウの色
6.屋外広告物の色
7.照明
8.その他(移動するもの、人や車など)
これらの都市環境を構成するものは、お互いに他を刺激しあって全体を形成しているが、人工的配慮によって十分統制できるものである。
環境は色彩によってコントロールされているといっても過言ではない。人間の注意をひくための色彩が人間に背かれるということもある。個を全体に和合させることによって、人間にとって素晴らしい空間を造り出すために色彩の機能は十分な協力を惜しまないであろう。
2.色彩と表示効果:
街に出てみると広告物の何と赤が多いことか。色光では赤が遠方からでも弱い光のときでも見分けやすいということか、また、赤や黄色などの暖色系は進出色として近くに見えるということが原因なのか。それとも、色の好みによるものなのか。服装においては流行色があるが、広告物にはないのか。ただ目立つことのみが広告物の色彩としてそんなに大事なことなのか。いろいろと考えることが多い。
色彩は材質のもつ光の反射率によって決まるものである。プラスチック、塗料、コンクリートなどの物質は光の効果によって変わる様々なものがあるので、各種の材料が構成する広告物は単に色彩の調和論では解決しえない複雑さをもっている。一般に物が見えるためにはそのものの照明状態や大きさが関係するが、形が見えるためにはその形の色と背景になる色の間に相違がなければならない。形を知る上で図形の色と地色の色相や彩度が違っても、明度が似ているときは形は不明瞭になる。
このような可視効果が低い状態は、形が小さいとき、形が複雑なとき、両方の色が彩度が低いとき、それを見る距離が遠いとき、あるいはそれを照らす光が弱すぎるか、または反対に強すぎるときなどによく起きる。
厳密にいえば目立つということは、むしろ注意価値に関することである。単に見えやすいというだけでなく、周囲と異質であるということによって注意を引き付けるということ、つまり差異のあり方が問題となる。
環境における色彩は送り手の趣好によって選ばれるものでなく、それを見る人達の側からの問題として、注意とか、安全とかを中心とした視覚的調和と、安心と興味の混合した空間への憧憬にも応えるべきものである。
広告物にとって色彩は見る人達の歓迎を受ける手段であると同時に、反感を買う道具ともなりうることに注意しておきたい。
3.照明と表示効果:
屋外の照明による広告物の表示には、直接サイン、透過サイン、反射サインがある。それらに使用される光源は、白熱電球、蛍光灯、水銀灯、ネオン管、ナトリウム、ランプ、よう素ランプなどがある。
これらの表示の方式は諸光源の性質を使い分けることによって光の表示効果を出すことができる。照明によるこれらの広告物は、点滅による訴求をもちこむことによって効果を増すことができる。それは次のような理由による。
1.点滅の効果的な演出によって目を楽しませる
2.点滅による変化によって時間をもちこむ
3.点滅による視覚上の大きさの変化
4.反射によるネガタイプの表示
5.動きを見る楽しみ
これらの表示における変化は、テレビの前に時間を忘れるのに似たひとときを我々に与える。照明あたえられた演出効果と、動と静、明と暗の対比を利用した変化にあるバランスは、優れた訴求効果を期待できるものである。
広告物と文字
1.コミュニケーションと文字:
最後の氷河期時代の狩猟者たちは、わずかばかりお互いに話し合うことができ、また話すことを通じて子供達に教えることができた。彼らはこれまで地上に生息していたどんな動物も決してしえなかったコミュニケーションをするようになった動物であった。約2万年前~1万年前にあらわれた狩猟家たちは洞窟などに絵をかいた。このような現代の人間は、絵を描く人間であり、口で話すことばを使わないでもコミュニケーションができる最も高度に教育され得る動物となった。
簡単な絵が遠くに離れた人達に意味を伝えることができることを知った人たちは、ことばに代わる意思伝達の方法として、長い年月をかけて絵を抽象化した図形を言葉と結びつけ、文字を誕生させた。このような文字になるまでの図形は所有などを示す記号の使用が文字の誕生を早めたことになる。
2.文字の表示の方法と効果:
1文字の書体
[漢字]
日本へ中国から漢字が伝わってきたのは3世紀の終わり頃である。中国では泰の始皇帝がBC200年頃に統一した国家をつくり、文字・度量衝から、車輪の寸法まで統一すると、その宣言を公布すた。皇帝の文字はてん書で、臣下は隷書でというきまりも作った。
2世紀ごろ、紙が発明されて、木片にかかれていた隷書は紙に書くために徐々に形をかえていった。7世紀あたりに楷書が完成する。筆も隷書用の鹿の毛のものから兎の毛のやわらかいものに代わっている。てん書はもともと実用書体ではないので漢代に入ると隷書におされて影がうすくなっていった。
今日の文字の書体は活版印刷による文字の形を主体としているが、一般に可読性の優れた文字として明朝体を基調している。
このように明朝体は、中国で10世紀の頃から木版による書物の印刷が行われるようになり、当初は楷書が彫られて用いられが、量産化が進むにつれて文字が直線的となり、宋朝体とよばれるものになった。
宋朝体の直線化が更に進んで16世紀になるといわゆる明朝体があらわれる。この頃の明朝体は今の明朝体のように横線がむやみと細いものではなく肉太である。
このように明朝体は木版の量産化によってできた書体で、一種の標準化、規格化の産物である。
様式の金属活字が中国で一般に用いられるようになったのは19世紀を半ば過ぎてからで、日本においては1870年に上海から来日した技術者によって、その技術が伝えられてからである。
[かな]
漢字のくずし書きによるかな文字の普及は平安末期には総数300字ぐらい、一人一人の使用字数は100~200字ぐらいであった。
鎌倉、室町と時代が下がるにつれて、かな文字の型が変貌し数も陶汰されていった。江戸時代に入ると書道が変体かなの各体を書き分けたのに対し、庶民文字の普及と共に文学書の出版はかなの字体統一をうながした。そして明治、政府は変体かなを切り捨てかなの基本字体を47と定めた。かなが生まれてから1200年、永い歴史の中に今日のかなが定着した。
[ローマ字]
今日、欧米で使用されているアルファベットは、古代ギリシャから古代ローマに伝えられたローマ・アルファベットを基本字体としている。古代ローマ国家はあらゆる種類の目的に文字をもっともひろく用いていた。そしてイタリーの市民で読み書きができる人の数は高率であったということである。
ところがローマの滅亡は文字にとっても暗黒の時代となった。文学は学問一般と共にキリスト教会の保護をうけ、教会によってひろめられた文字は大衆の利用できないものとされた。数百年後の11世紀に文字が商業に使われることになったが、読み書きの知識を大衆の手にもたらすようになったのは15世紀の印刷術の発明後のことである。
今日、ローマン体とよばれているものは古代ローマ時代の文字を復刻して活字にしたものが基調となっている。それは1470年代のことである。
グーテンベルグの作った活字は、12~13世紀には既に使われていたゴシック様式の文字を活字にしたもので、後のドイツ文字になったものである。
英文字の書体はリーダータイプとディスプレイタイプに分かれる。
リーダータイプはローマン体を基調としている。ローマン体には古代ローマの文字を基調としたオールド・ローマンと近代になってつくられたモダン・ローマンとがある。また、ディスプレイタイプにはエジプシャンとサンセリフ(ゴシックともよばれる)とがある。
2.描き文字
広告物における描き文字は、描かれた文字による直接的訴求及び各種表示への利用を目的としているので、描かれた文字を複製再現する描き文字の間接的利用については区別しておく。
印刷術の発明による文字の大衆化の結果、活字による文字との接触が多くなってきた。それは同時に文字の形体の面では、明朝体との接触の機会が多くなったということである。毎日の新聞をみてもほとんどが明朝体で埋められている。一方テレビに登場する文字は報道関係を主体としてゴシック体の利用が多い。われわれの日常はこれらの2つの書体によって文字に接している。これは新聞の紙の問題、高速印刷等の事情があるにせよ、可読性に最も優れている明朝体の特徴を研究し、また可読性の優れた明朝体をつくるにはという努力の結果とも関係がある。一方のテレビのゴシック体は、映像の送り方と受け取り方との関係で文字の鮮明さを主体とした結果である。このように日常の文字との接触は大部分が明朝体とゴシック体とであるから、せれ以外の書体の使用は特殊な伝達内容を意味することになる。
これらのことは英文についても同様なことがいえる。英文のローマン体は漢字の明朝体に相当する。描き文字としての立場から言えば筆書きの伝統からいって楷書が適当であるということになるのだが、美しく読みやすい楷書を書くことは相当の熟達が必要である。その点、明朝体は文字の形体としても再現体において容易な書体である。これは明朝体が再現のために直線化され、標準的な形態をもつようになったためである。したがって明朝体やゴシック体を描くときは標準化された文字の部分の形を正しく書きあげることが要求される。
3.印刷文字
文字は次のような方法で印刷される。
1.活字による印刷
2.写真による製版と印刷
3.シルクスクリーンによりる印刷
4.木版による印刷
広告物とシンボル
1.シンボルの表示の方法と効果:
1.シンボル:
人間とシンボルとの最初の出あいは、先史時代における自己を表示するもの、自己を他と区別するための部族のシンボルと、私的所有権を示すシンボルとであった。
部族のしるしは、ある動物が自分たちの先祖であるとする信仰と結びつき、自分に代るべきものとして、自分をシンボライズするという方法となり、自己の所有権を示すものとしても使われた。
このようなことは文字以前の記号であって、文字と呼ばれるためにはこれらの図形に一定の意味があたえられなければならない。意味があたえられるということは自分たち以外のものとの約束と理解ができるということである。
意味が与えられた多くの図形は、文字としてシンボルとしてコミニュケーションの働きに利用されるようになっていった。一方、部族標識としての図形の認知は、姓を印るすものとして造形されていき、紋章として権力者のシンボルとなっていった。シンボルを特徴づけているものは人間の知恵であるといえよう。
2.サイン:
ある徴候(きざし)をみるとその連想として浮かび上がってくる事柄がある。街路がぬれていれば雨が降ったことを知る。傷ついた人をみれば以前事故にあったのではないかと連想する。暁は日の出の前ぶれであるというように、サインには自然的なものと人為的なものとがある。
自然的なサインは、人間をとり囲む宇宙が人間に生活の知恵としてさずけた各種の条件に対する反射的な知恵である。人為的なものでは社会秩序のための各種の標識類である。
最も原始的な記号である矢印は、方向指示の適格なサインとして今日でも使われている。生活の中での反射的行動に視覚的な形態をあたえることでサインとしての約束を作ることができる。広告物としてのサインは購買時点での選択をたすける条件反射をつくりだすために大衆に働きかけるシンボルである。
3.ロゴタイプ:
活字による印刷は文字がひとつずつに分かれていて、それらの文字をいろいろと組み合わせることによって語や文をつくることが特色であるが、頻出する文字の組合わせなどについてはあらかじめひとつに組合わされた文字をつくっておく。このような合成活字のことをロゴタイプとよぶ。
また、広告などで繰返し使われる企業名や製品名をひとつのスタイルによって統一したものとして特殊に文字のデザインがなされたものをロゴタイプとよんでる。
ロゴタイプを制作するにあたっては、次のようなことが留意される。
1)企業や製品のイメージが理解される。
2)印象的であり、記憶に残しやすい。
3)どんなメディアに利用されても充分に効果のあがるもの
ロゴタイプはそれを使用する効果の上で、企業の宣伝に対する統一性、反覆し訴求されることによる親しみの感情、それらを通じて起こる信頼感などが基調となり、シンボリックな意味をもつ。
ロゴタイプの製作にあたって個々に企画立案される例と、同一企業から表示される製品名ロゴタイプの例があげられる。後者の例は企業イメージの統一性を考慮して、専用のタイプフェイスをつくり、その組合わせによる標準化を行うことにより、作業の能率化を促進できるようにした。
4.トレードマーク:
同じ会社が数種類の製品を造り、これらの製品の種類を識別するためにつくられたマーク、つまり商標のことをブランド・マークという。このブランド・マークが法的手続きをへて登記されたものをトレード・マークとよび、登録商標といわれているものである。
トレード・マークをデザインするにあたっては、次の諸点に留意すること。
1)他社との類似を避け、明確な形態的個性をもつこと。
2)企業のイメージを表現すること。
3)どんなメディアにも使用できること。
4)作図法を示しておくこと。
5)社色との関係を定めておくこと。
6)表現上のバリエーションを示しておくこと。
7)縮小の限界を定めておくこと。
8)パターンの表現を示しておくこと。
9)ポジとネガについて、ネガの際の扱い方を示しておくこと。
5.アイソタイプ:
ウィーンのオットー・ノイラート氏の創案になる国際的な記号言語。1920年代に2,000以上の記号を含む視覚辞典を作成、一種の視覚言語とその文法を説いた。
アイソタイプの利用によって1930年代以後の展示形式が大きな変革をうけた。
最近では絵本をはじめとして教科書や百科事典など、事実や知識の理解を視覚化する方法として広く利用されている。アイソタイプISOTYPE International System Of Typographic Picture Education の略である。
6.ピクトグラム:
ピクトグラムは絵文字、象形文字のことを指し、視覚伝達記号として古代における文字の発生を促す契機をもったものであったが、現代においては異文化交流をはじめとする国際化に対するものとして、また、その伝達機能の速度が求めれられるものとして活用価値の高さが認識され、その応用範囲も広い。ピクトグラムは単体の絵文字、絵による表示を指す。
広告物とレイアウト
1.訴求効果とレイアウト:
レイアウトは見せる機能の充実のために、まず必要とする視覚要素を決定することから始まる。
1)大きさ、スペースの決定
2)色彩の決定
3)見せ方の決定
4)訴求目的との対応
レイアウトによる効果的な訴求のために要求されることは次のようなことがらである。
1)印象の深さ
2)理解の拡大
3)視認度の拡大
4)訴求の速度
などの個々の視覚の問題処理と共に、全体の統一的感情をつくりだすことに効果をもたせなければならない。レイアウトが目的としているところの機能はこれらのことがらである。
2.フォーマットレイアウト:
使用を決定された視覚要素を位置づけるには、レイアウトによる効果に期待をしなければならないのだが、基本的な構成についての方針が各種の広告物について共通に求められているとすれば、その統一性の枠の中での多様性として、レイアウトによる変化づけを求めなければならない。そこでレイアウトの問題はまずフォーマットづくりから始まるということになる。フォーマットとは、視覚上の統一性をもたせるための形式のことである。フォーマットをつくるためにはロゴタイプの扱い方やマークの扱い方など、それぞれの大きさ、位置のレイアウトを決定することによって統一性のある基本的形式があたえらえる。このときにはすでに訴求に対するコミュニケーションの内容理解が前提となり、求める形式との一体化が行われていなければならない。
この始動の段階での訴求に対する考え方がフォーマットを決定する。レイアウトは以後の各種のメディアにおける実体化のための作業である。
3.景観シュミレーション:
屋外広告物をどのように配置するかという景観にかかわる問題について、そのレイアウトがコンピュータ画面上においてシュミレーションされることによって、掲出結果の判断が用意となり検討上効果を発揮している。
コーポレート・アイデンティティ(略してCI)
1.コーポレート・アイデンティティと訴求効果:
企業イメージの形成にとって具体的な方法として新しい考え方が取り入れられてきた。
それはかつてデザイン・ポリシーなどと呼ばれていたものだが、しだいに今日のコーポレート・アイデンティティという形で統一されるようになった。
コーポレート・アイデンティティとは、企業が各種のコミュニケーションを通じて企業像と実体とが同一のものであるということを明確にすることである。そして他企業とはっきり識別しうる状態にすることを意味している。
企業間の競争は、個々の製品、サービスの品質や価格による競争から、しだいに企業そのものの認知の競争へと変化してきている。コーポレート・アイデンティティによるこの問題の中心課題は、企業におけるデザイン活動と経営との統合という考え方である。
そのために、広告、製品デザインなどといった経営の個別の領域を統合し、企業全体の個性を確立していくことが現代のデザイン活動の大きな課題となっている。
デザインは経営理念を具体化する有力な手段である。企業がいかに優れた経営理念をもっていてもそれがデザインによって生かさなければ、現実には効力を発揮することは困難である。
企業のアイデンティティを実現するための基本要素には社名、社章、商標、専用タイプフェイス、ロゴタイプ、社色、トレードキャラクタ-、スローガン及びマーケッティングステートメントなどが含まれる。
コミュニケーション媒体として事務帳票類、汁器、備品、パッケージ、製品、衣類、標識、サインボード、建物、インテリア、ディスプレイ、エキジビション、輸送機器、広報、広告物、販売促進物などあらゆるものが適用される。
これらの情報は視覚的に直接個人の感覚の世界にとびこみ、企業の個性をストレートに打出する力となることができる。
このようなコーポレート・アイデンティティによる訴求方法にとって今後の問題として要求されるものは、デザインの統一による標準化のみを方法とするのではなく、コミュニケーションの実体化にあたって発想の新しさとか、コンセプトといった内面的なおのの重視、そこから生まれてくる方法のアイデンティティとの調和といった多様性の発見が、企業の社会性の認識の上にも望まれる情報となるであろう。
2.広告物とコーポレート・アイデンティティ
各種のサイン類には必要とする状況と機能的な側面からみて、案内、指示、注意、広告などがあり、それぞれ標識的性格と広告的性格をもつ。これらは一般に個々の必要に応じて制作されることが多いが、アイデンティティの考え方に立って統一ある訴求効果をはかることができる。一般に統一をはかるには次のようなことが考えられる。
1)ロゴタイプとその扱い方の統一
2)色彩による統一
3)マークを中心とした統一
4)形と素材による統一
5)ピクトグラフによる統一
6)フォマットによる統一
これらの統一に関する事項をシステムとすることで
1)恣意的なデザインが避けられ統一した表示が可能となる。
2)以後の広告物の制作が効率的である。
3)発注を統一することでコストの低下をはかれる。
などが期待される。
屋外広告物・サイン類においても、このような合理的な発想であるシステムの導入またはこれへの参加によって、連繋されたイメージづくりの強味を手に入れることができよう。
ところが一方、近年の問題として大企業のコーポレート・アイデンティティによるサイン類の各地への進出について、これらが掲出される地域の特性と結びつかないという批判が地元側から起こってきている。これは次のことに起因していると思われる。
コーポレート・アイデンティティは、その性格上次の2種類のメディアに分かれている。
1)動的なもの(輸送機器、製品、衣類、事務帳票類など)
2)静的なもの(広告物、建物、インテリアなど)
コーポレート・アイデンティティはもともと標識性を主体とし、他企業との差異を明確に指示することがねらいである。特に動的媒体においては、そのねらいは効果的に機能している。一方、静的媒体においては標識性から出発して象徴性をもつことになる。象徴性はイメージとなって企業の代理として表象され機能することによって、人間の意識への連絡をつくる。つまり、意識の中に企業イメージを定着させることになる。そこで、コーポレート・アイデンティティによる屋外広告物は、静的媒体としての特性から、画一化による地域性の拒否を嫌う地元側からの反感という問題をかかえこむ結果となったといえよう。このことは、コーポレート・アイデンティティというトータルな視覚による統一というイメージづくりに対して、統一の中の変化という命題を与えられたわけである。これからは、地域の特性に応えることのできる変化のあるシステムとしての発想が求められることになる。
都市景観と広告
1.見ることの意味:
サンタクルーズ諸島の人々は「土地は残るが人間は死ぬ。人間は衰えて、埋められてしまう。われわれはわずかの間にしか生きられないけれど、土地はいつもその場所にある」という。人類学者によれば、未開人は自分の住んでいるところの景観に深い愛着を抱いており、そこでは小さな部分をも区別し命名しているし、人の住まない土地にさえ地名をつけているということだ。環境は未開人の文化に絶対必要な要素であり、彼らは自分の周囲の景観と調和しながら、働き、創造し、遊ぶ。彼らは環境に完全に自己同一化していると感じており、そこを離れることを好まないといわれる。
人間は環境との関係として景観に愛着をもち、土地に命名することによる物語の中に生きているといえよう。ここに展開された人間と自然環境との関係は都市にも類推される。都市における土地への命名は自然への命名の名残りなのか、土地との自己同一化のイメージは景観への意識の傾注を誘発するものとなっている。景観とは風景外観のことであり、環境の表面となって視覚によって把握されるが、環境のイメージのもつ本来の機能は、目的をもった移動を可能とすることであるから、景観は単に風景外観として鑑賞の対象とされるものではなく、環境を識別しパターン化のための視覚認識の問題は見ることに帰属するもので、環境と視覚との相対化の中で景観のイメージを決定することになるが、見ることから知ることへの移転は言語化されて心の中にすり込まれ心的風景として自己同一化にむかうことになる。見ることは目的と移動の機能を視覚が再現するという責任を景観の中で負っていることになる。
2.視覚対象としての広告物:
人々の暮らしの中で機能する都市景観の役割りは人々を結びつけるということにどれだけ機能できるかということであろう。都市は地方から集った人々を集約的に労働に結びつける役割をもって誕生しているものだから、その目的である人と人との関係の融和のために、そのコミュニケーション機能を発揮しなければならないという使命がある。ダイナミックで躍動する都市というキャッチフレーズは実体的ではなく、人々を都市へと誘惑するイメージの世界を形成することでしかない。
環境のイメージの創造は観察者と観察されるものとの2方向の過程である。観察者の見るものは外的な形態に基礎をおくが、これをいかに解釈し組織化するか、自分の注意をいかに向けるかということが、逆に観察者の見るものに影響を与えることになる。広告物のあり方もこの示唆の中に実現されなければならない。われわれが広告物に注意をむけ影響をされると同時に広告物に対して観察者の意見や要求がでてくるという相対的な関係になる。受容と批判の関係が主観的に機能するとき、広告景観の価値は問われることになる。さもなければ価値は問われず無視され、無関心のまま大衆は別の場所へと逃避することになる。そこには記憶を失った無意味なトポスが残るだけとなる。
3.空間の図と地:
平面はいかにして分裂するかということを分析したゲシュタルト心理学のテーマとして「図と地」の反転現象が説明されている。図は図のみで存在しているわけではなく、「図」が成立をするためには「地」となる部分が必ず存在していて、その全体の総和の中でこそ図が成立するということ、つまり、図と地は全体を構成する条件として成立し、図をみるということは地をみるということであり、その反対も認められるという両義牲のあるものとして認識しておく必要があるという考えに立っている。そこで空間という三次元がゲシュタルトの視点で見直されたとき、どのようなことが認められるかということがここのテーマである。
今日のわれわれの視点は日常のTVの影響もあって風景を二次元化された映像として見るということに慣らされてきた。したがって、関心の対象となっている広告物をある景観の中で眺めた時、その広告物は図となって風景の中にある他のものは全て地となるということになる。ゲシュタルトとしての相対的な関係が成立しているとなれば他のものに対しても同じことがいえる。景観の中で広告物ではなく建物や他の建造物に関心を示していればどうなるかということも検討してみる必要があろう。全体と部分の総和と分離による対立ということが認識されるべき対象である。
屋外広告の知識より抜粋
監修=建設省都市局公園緑地課
編集=屋外広告行政研究会
定価(本体4.660円+税)